第2章 賃金上昇と物価の好循環は本物か?——日銀が利上げ条件にこだわる理由
1. なぜ賃金がカギなのか
日銀は2013年以降「物価安定の目標=2%」を掲げています。しかし過去10年間で何度も物価が2%を超えた場面があったにもかかわらず、日銀は利上げに踏み切りませんでした。なぜでしょうか。
答えはシンプルで、賃金が伴わなかったからです。
- 2014年:円安+消費増税で物価が一時+3%
- しかし賃金は伸びず、実質賃金は▲3%
- 家計は消費を控え、結果として景気は停滞
この「物価上昇だけのインフレ」は、家計を苦しめるだけで持続的ではありません。
日銀が目指すのは、賃金と物価が好循環するインフレです。
つまり、
- 賃金が上がる → 消費拡大
- 消費拡大 → 企業が値上げできる
- 企業収益増 → さらなる賃上げが可能
という循環が成り立たない限り、利上げは時期尚早というわけです。
2. 日本の賃金停滞の歴史
2-1. 「失われた30年」の象徴
日本の平均賃金は1997年をピークに停滞。OECDデータによると1997〜2022年の25年間でほぼ横ばいです。
一方:
- 米国:+30%
- ドイツ:+25%
- 韓国:+40%
まさに「賃金が上がらない国」が日本でした。
2-2. 背景要因
- デフレ経済:企業は価格転嫁できず、賃上げを抑制
- 非正規雇用の拡大:全労働者の37%が非正規(パート・派遣)
- 内部留保の積み上げ:2024年には500兆円超、しかし人件費には回らず
- 労働組合の交渉力低下:春闘は「ベア(ベースアップ)」がほぼ消滅
結果、日本の賃金は20年以上も事実上のゼロ成長にとどまってきました。
3. 2025年春闘が示した構造変化
3-1. 賃上げ率の大幅上昇
2025年春闘の結果は、日銀の政策判断を大きく左右しました。
- 大企業:平均 +5.2%
- 中小企業:平均 +3.4%(前年の約2倍)
- 非正規雇用:平均時給 1,150円(史上最高、都市部では1,300円超)
3-2. 賃上げの波及
従来は大企業だけが賃上げを実施し、中小企業や非正規は置き去りでした。
しかし2025年は人手不足が深刻化し、地方や中小企業でも「賃上げしないと人が来ない」という状況に。
業種別の特徴:
- 自動車・電機:人材確保のため積極賃上げ
- 外食・小売:アルバイト確保のため時給を大幅引き上げ
- 中小製造業:原材料高と人件費増で苦しいが、最低限の賃上げを実施
これは「広範な層に波及した賃上げ」であり、日銀が重視していた条件を満たしつつあります。
4. フィリップス曲線と日本の労働市場
4-1. フィリップス曲線とは
経済学では「失業率が下がると賃金が上昇し、物価も上昇する」という関係をフィリップス曲線と呼びます。
4-2. 日本で機能しなかった理由
2000年代、日本は失業率が下がっても賃金が伸びませんでした。理由は:
- 労働生産性が低迷
- グローバル化で安価な輸入品が増加
- 非正規雇用の拡大
つまり「失業率低下=賃金上昇」が成立しなかったのです。
4-3. 今なぜ機能し始めたか
- 失業率:2025年夏時点で 2.6%(歴史的低水準)
- 有効求人倍率:1.25倍(人手不足が常態化)
- 賃金上昇率:前年比+3%以上
この結果、ようやく「賃金上昇→物価上昇」という典型的な循環が機能し始めました。
5. 実質賃金という課題
5-1. 名目と実質のギャップ
名目賃金が上がっても、物価上昇がそれ以上なら実質賃金は減少します。
2024年:名目+2.5%、物価+3.0% → 実質▲0.5%。
5-2. 家計の実感
内閣府の世論調査では「生活が苦しい」と答えた世帯は2024年に過去10年で最多。
つまり「統計上は改善でも、実感はまだ伴わない」。
植田総裁が「実質賃金の動向を慎重に見極める」と強調するのはこのためです。
6. 海外との比較
米国(FRB)
- 2021〜22年:インフレ加速
- 賃金:前年比+4〜5%
- FRB:急ピッチで利上げ(ゼロ→5%超)
欧州(ECB)
- インフレ+5〜6%
- 賃金:+4%前後
- ECB:粘り強く利上げを継続
日本(日銀)
- 賃金:+3〜5%
- インフレ:+2〜3%
- ようやく「デフレ的賃金構造」からの脱却が見え始めた段階
7. 投資家にとっての意味
株式市場
- プラス要因:小売・外食・サービス(賃金上昇による消費拡大)
- マイナス要因:人件費増で収益圧迫、特に低価格業態
債券市場
- 賃金上昇=インフレ定着 → 利回り上昇 → 債券価格下落リスク
為替市場
- 日銀の利上げ姿勢強化 → 円高要因
- FRB利下げモードと重なれば円高圧力はさらに強まる
👉 関連記事:投資信託の始め方|初心者向け完全ガイド
まとめ
- 日銀は「賃金と物価の好循環」が成立しなければ利上げできない
- 日本の賃金は長らく停滞していたが、2025年春闘で大きな構造変化が見えた
- フィリップス曲線が再び機能し始め、賃金と物価の連動が確認されつつある
- 実質賃金の改善がカギであり、家計の豊かさが実感できるかどうかが今後の焦点
- 投資家は「金融株にプラス、不動産や債券にマイナス、円高シナリオ」を意識した戦略が必要
👉 次の章はこちら:
➡ 第3章 利上げは日本経済をどう変える?——今後の展望と投資家の戦略
コメント